イエス様が再臨される正確な日と時は誰も分かりませんが、父なる神様だけはご存知です。(マタイ24:36, 使徒1:7) しかし、聖書は、イエス様が再臨される時に起こる様々な兆しについて記されています。
一番目、イエス様は、弟子たちに再臨の時期に対する歴史的な証拠として、ローマの圧制下にあったイスラエルについて語られました。マタイの福音書24章32節から33節を見れば、『いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい』と記録されています。ここで、いちじくの木とはイスラエルを示します。イスラエルは、AD70年にローマのテトス将軍の攻撃を受けて滅亡し、約2000年間は国もなく、国民は他国に散り生きていましたが、1948年5月14日、劇的に建国、独立しました。いちじくの木に象徴されたイスラエルが芽を出し、葉を出したのです。主はこのような出来事をご覧になられて、人の子が戸口まで近づいていると告げました。
二番目、神様は終わりの時に、後の雨である聖霊を注ぐとおっしゃられました。(使徒2:17~18)初めの雨の聖霊は、五旬節の日にマルコの屋根裏部屋に初めに注がれました。しかし、後の雨の聖霊は、1900年度に臨み始め、今も続けて注がれています。今日、世界の至る所で聖霊の働きが起こっているのは、まさに聖霊の最後の収穫の時であること示しています。ですから、このような働きを見ても、この世の終末が近づいてきたことがわかります。
三番目、イエス様は世の終わりの象徴を尋ねる弟子たちに、次のように告げられました。『人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです』(マタイ24:4~8) 今日、このような兆しが明らかに現れることによって、主の再臨日が遠くないと知ることができます。

2.イエス・キリストの二つの再臨

聖書には、イエス・キリストがこの世に二回再臨されることを記されています。
一番目の再臨は空中再臨です。これは、7年の患難が来る前に主が突然空中に現れ、聖霊の油を準備した聖徒たちを雲の中に引き上げ、空中で主に会う再臨を言います。(Ⅰテサロニケ4:16~17, ルカ17:34~35) この時、聖徒たちの体がキリストのような形に変わり、栄光から栄光へと至るようになるのです。(Ⅱコリント3:18)
二番目の再臨は、地上再臨です。この再臨は、イエス様が空中再臨された後、聖徒たちがイエス様と共に婚宴に参加し、7年の患難が終わった後、この世に再び降臨することを言います。この時、ハルマゲドン戦争が起こり、(黙19:19~21) この戦争で額や手に獣の刻印を受けた人々は、イエス・キリストの口から出てくる鋭い剣によって全員殺されます。また、この時、敵キリスト者とにせ預言者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれ(黙19:20)、竜(サタン)は底知れぬ所に投げ込まれるのです。(黙20:1~3)

3.クリスチャンの究極的な希望

クリスチャンの究極的な希望は、永遠の天国です。天国は、新しい天と新しい地によって形成されています。(黙21:1) そこにある新しいエルサレムがどれくらい美しいのか夫のために飾られた花嫁のように整えられたと語りました。(黙21:1~2) また、そこには死がなく、悲しみ、叫び、苦しみもありません。 (黙21:4) このような天国にエノクは、300年間、神様と共に歩み、生きたまま入りました。(創5:24) エリヤも道を進んでいると、たつまきに乗って上がって行きました。(Ⅱ列2:11) また、使徒パウロは生きている時に天に引っ張られて行き、人が口に出すことのできない言葉を聞きました。(Ⅱコリント12:1~4) したがって、天国は確かに存在します。それにもかかわらず、一部の人が天国を宗教的神話や象徴に解釈していることは、本当に残念な話です。もし、天国がなければ、天国を待ち望むクリスチャンは、この世で最も哀れな人です。しかし、天国は存在するので、天国を待ち望むクリスチャンは、本当に幸せで祝福された人なのです。

4.私たちの姿勢

では、天国がはっきりと存在するということを知った私たちは、この世でどのような姿勢で生きるべきでしょうか?
一番目、いつも目を覚ましていなければなりません。なぜなら、私たちはどの日に主が来られるか知らないからです。(マタイ24:42) 油の準備をしていない五人の愚かな娘は、婚礼の祝宴に入れませんでしたが、目を覚まして油を準備していた五人の賢い娘は婚礼の祝宴に入って行きました。(マタイ25:1~13) ですから、私たちはいつも目を覚ましていなければなりません。
二番目、一生懸命に福音を宣べ伝えなければなりません。伝道は、イエス様の至上命令です。イエス様は、罪の中に陥っている人を救われるために、十字架で体を裂かれ、血を流されて死なれました。イエス様の最大の関心は、魂の救いにあります。ですから、私たちは時がよくても悪くてもいつも御言葉を宣べ伝えなければなりません。
三番目、イエス・キリストの再臨と、天国を慕い求めて待たなければなりません。神様の祝福は、慕い求めて待つ者に与えられます。信仰の真価を選り分けるものは、待つことです。本当に天国と再臨を信じる人ならば、主の再臨と天国を慕い求めて待たなければならないのです。主は、『人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか』(ルカ18:8)とおっしゃられました。

◎聖書研究
1.イエス・キリストの再臨に対する聖書的な証拠は、何ですか?(マタイ24:32~33, 使徒2:17~18, マタイ24:4~8, 勉強する内容)
2.天国が確かに存在することを知った私たちは、どのような姿勢で生きるべきでしょうか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.再び来られる主を迎えるために、どのように準備しているのかをお互いに話してみましょう。
2.あなたは天国が確かに存在していることを信じますか? そうであれは、あなたがするべきことは何だと考えますか?